2009年05月10日

沖縄諞 はじめに

1976年春、私は改修が終わった302スタジオで芸能山城組の録音を行なっていた。
そこに奥村録音部長が紙切れをひらひらさせてニヤッと笑って入ってきた。
永年の感でとんでもないことを言いにきたなということは表情でわかる。
録音の合間に話を聞くと、沖縄でクラシックとロックのコンサートがあり、そのライブ録音をやってくれというものだった。
一瞬目が点になった。クラシックとロック?ではそれぞれで音量差があり過ぎ、しかもライブである。
普通はとても無理だと言うだろう。「クラシックとロックの両方やれるのは君しかいない」という煽てに乗って《煽てれば乗りやすい性格はとおに判っているようで、、》僕の後ろで山城氏が「そうだよ。松下さんしかやれないよ」などと煽てる。
ついては、沖縄の那覇でゲネプロがあるので、明日、沖縄に飛んでほしい。《あ、明日ぁ?》
これからそれについての打ち合せがあるので、この録音を依田さんと替わって出てほしい。
下でディレクターが待っている。奥村部長は山城氏に了解をとり私に即した。
ここでまた私の病気が始まった。
沖縄に行ける!ただこの一点である。大変な録音などは殆ど考えず山城組の皆に手を振って302スタジオを後にした。
一階の試聴室で学芸教養部の初めて見る新米ディレクターが待っていた。名前を衛藤という真四角な体系をしたディレクターだ。彼の説明によると渋谷のジァンジァンが沖縄に沖縄ジァンジァンをつくり、そのオーブニング企画で『交響詩あけもどろ』を沖縄フィルとジョージ紫のバンドでやるという。場所は那覇市民会館である。
私は正直なところクラシックにはそれ程堪能ではない。ジョージ紫の名前は実力のあるバンドリーダーでキーボード奏者であると言うことは聞いていたがレコードを聞いたこともないそういうレベルでした。
したがって、ディレクターの説明も「ふぅーん」というていどで頭の中は《お・き・な・わ》でした。
posted by アナログオヤジ at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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