2009年05月10日

沖縄編パート1 最後に

これから沖縄パート2に入って行きますが、自分で読み直してみて、勝手に熱くなったりしてます 笑
録音現場の描写は、音の表現を日本語で表す言葉があまりにも貧困すぎる物しかなく、使えませんでした。
日本語の限界を感じました。
したがって、マルチレコーダーの走行音のシューだけです。・・・笑
ジァンジァンの高嶋社長と会うのはこれよりずっと後ですが、この時現場に居たのかと、元ジァンジァンの友人に聞いたところ、、単パン、Tシャツ、ゴム草履姿(この人のトレードマーク)で酒を片手に、客席でスタッフに非難されながら聞いていたそうです。
(酒持ち込むなよなぁ〜!気持ちは判る。俺もそうしたい)・・・笑
沖縄での熱い録音現場は以上です。
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沖縄編 その十六

粟圀さんの左手が挙がった。
顔はすごいスピードで左右を見回している。
左手を、めいっぱいに開き、指を折りだした。
最後の4小節の合図だ。
四つになった!
三つになった!
二つになった!
身体を大きく曲げ飛び上がって素早く両手を振り下ろした。
演奏が終わった。

演奏の残響がまだ残る中、ブラヴォー!の大歓声と凄まじい拍手が巻き起こった。
私はやっと椅子に座り、ミキサー卓の縁に肘をつき、両手で頬杖をついている。
息をするのを忘れていたのを思い出したように、大きく息を吸い込み、吐き出すと、後ろを振り向いた。
ディレクターが、眉間に皺を寄せ、分厚いスコアーを空中に放り上げた。調整室の中をすごい数のスコアーが舞っている。
彼の考えはすぐ理解できた。
致命的な演奏ミスが多いのである。
ライブでは、視覚的な要素と音量の大きさで許せても、レコードは別である。レコードを、ライブと同様の音量で聞く人はいないし、演奏風景は見えないのだ。
しかし、私には「録れた」という自信があった。
にっこり笑って彼に言った。
「俺に三日くれる?作品に仕上げてみせるから」《三日間とは、トラックダウンの部屋を三日間押さえてくれと言う意味だ》
稿をも縋る気持ちであったろう彼は、「判った」と一声残し、赤電話のところへ飛んで行った。
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沖縄編 その十五

粟圀さんのコンダクトが、さらに激しく大きくなった。
バンドとシンフォニーが激突するクライマックスへの合図である。
ディレクターの声も、途切れ途切れにしか聞こえない。
もうここまでくると、私もあとの二人の頭の中も、沸点を通り越して、演奏の激流のなかを楽しみながら漂っている。
声を出すのも面倒だ。
指示など出さなくても、勝手に向こう岸に泳ぎ着くだろう。
バンドの演奏に、シンフォニーが大波のようにかぶさって激突した。
【モニターボリュームを下げる気はさらさらない。きっとアンプは悲鳴を挙げているだろう 「頼むぞ!最後までもってくれ〜!!」おわったら火を吹いてもかまわない・・笑】
演奏は、二つの巨大な龍が、のた打ち絡み合い、凄まじいカオス状態だ。
粟圀さんも、さらにエキセントリックなコンダクトになっている
【演奏者全員を着地点に導くために頭の中は噴火しているだろう】
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沖縄編 その十四

ベトナム帰りの米兵の前で培った演奏は、すさまじい迫力とビート感を目の前に展開した。
【後日聞いた話では、いつ又ベトナムへ戻りいつ死ぬか判らぬという極限状態の恐怖感から、深酒とドラッグに溺れ、異様に研ぎ澄まされた感覚の米兵の前で演奏していたのである。ノリの悪さや演奏ミスに対してはコルトやカービン銃をぶっ放し、ビールビンが飛んでいたという】
ジョージのソロも、ギターのソロも、異様な熱気を孕み、矢継ぎ早にとんでもないフレーズが飛び出してくる。
調整室からは判らないが、客もかなり盛り上がっているのだろう。
いきなり、私の真後ろからスピーカーの音量に負けない声で「いくよー!!」と声がかかり、ギョッ!として飛び上がった。
ディレクターが、大音量ではまりこんで録音している私に判るように、気を利かせてすぐそばまできていたのである。
無言で所定の位置についた関口と佐藤に目で合図を送ると、無言で軽く頷いた。
「いくぜ!」と私。
「ワンッ!」「ツゥッ!」「スリーッ!」「フォッ!」「イケーッ!(私)」
オケのほうも、ブラスが鳴り響き、フォルテシモで対抗し、荒れ狂っている。
《譜面を並べた音楽的な説明よりこっちのほうがぴったりである》
《新旧沖縄の対決に聞こえる》
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沖縄編 その十三

本土のバンドの演奏とは違うと皆感じているようだ。
アシスタントの一人も、レコーディングシートを書き込みながら盛んに頭と身体を揺すりリズムをとっている。いい傾向だ。
やがて、またバンドからオーケストラに演奏が移っていった。
軍靴の響きを思わせる行進の音、コーラスが歌う
♪あめおろちたもれ あめおろちたもれ♪
続く日照りに天を仰ぐ民衆の祈り。
様々なことを演奏の中に連想しながら、レコーディングは進んでいく。
調整室の中は、スピーカーから流れるライブの音以外は、マルチテープが走行するシューという音だけで、しわぶきひとつ聞こえない。
演奏は進行し、除々に最終章へ入っていった。
再び後方のディレクターから声がかかった。
関口と佐藤が静かに所定の場所についた。
「四つ前ッ!」【*注・・四小節前】ガナリ声が飛ぶ。
「ワン!ツゥ!スリィ!フォ!」
三十本の指が一斉に動く。
クライマックスへ向かってハンド演奏が始まった。
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沖縄編 その十二

夕食も終わり、本番まであと四十分程である。
那覇市民会館の前には、すでにかなりの人が並んでいる。(ライブ録音は拍手の音も重要だ。熱気のある拍手がとれそうだ。)
調整室に戻り、また「檻のなかの熊」状態に戻る。
ライブ録音は何度やっても、始まってしまえば何ともないのだが、始まる一瞬前までは異常に緊張するものだ。
演ずるアーティストも同じだろう。
インカムでステージスタッフから2ベルが入る旨連絡がある。
マルチレコーダーが回り始めた。コンサートがスタートした。
平良トミさんの語りが始まった。
リハとは比較にならないほど迫力がある。
フェーダに乗せた指先から腕を伝って身体まで鳥肌が立つ。【以前録音した俳優の藤竜也さんのアルバムナレーションの感動とは別種のものだ】
きっと沖縄の歴史と生活の重みがあるのだろう。
沖縄音階を含めたクラシックの演奏は、独特の空間を作り出している。
一瞬「あぁ俺は沖縄にいるんだな」と感傷に浸っていると、後ろから「そろそろいくよ〜!」と大きな声が飛んできた。
四小節前にはまだ間があるが、気を効かせて教えてくれた。関口と佐藤が所定の位置についた。バンドの演奏は前半の演奏はピアニシモで始まるので、フェーダをゆっくり下ろすように指示した。
ジョージの演奏が始まった。
三十本の指でゆっくりとフェーダを下ろした。バンド全員の演奏が始まる。
観客を前にしているせいか、リハよりさらにノリがいい。演奏に浸りついついモニターボリュームが上がっていく。
しかし調整室の中はスタッフ全員身体を揺すり、足でリズムをとって盛り上がっている。
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沖縄編 その十一

わざと真面目な顔を装って調整室に戻ると、衛藤ディレクターが笑っている。オケピットにおける関口との内緒話がみんな聞こえていたという。「しまった!オケピットのマイクもモニターのボリュームも上げっ放しだった。」
【標語一題・・・マイクの前の内緒話はやめましょう。。。松】
衛藤氏曰く「それじゃぁ俺もステージのチェックに行かなきゃだめだな」
「そうだよ!ライブは何が起こるかワカランからチェックは必要だ」と私。《音楽にはこれくらいの柔軟性が必要だ・・・言い訳》
後半の演奏が始まった。
粟圀さんと上地さんが、休憩時間のほとんどを使って直しを行なって、音にまとまりが出来てきた。バンドの演奏もオケの方から苦情が出たようで(当たり前か)ボリュームが落ちていたが、ミキサー卓のフェーダは敢えてそのままにしておいた。
ミュージシャンはノッテくると必ずボリュームがあがることを何回も体験しているのだ (これは本番で的中する。観客を前にするとアーティストはテンションが上がるものだ)
通しリハが終わり、部分直しのため上地さんの声が飛んでいた。
全体の行き方がわかり(前回のゲネプロは聞けなかったため初めて全体像が見えたのだ)私は急に空腹を覚え、ディレクターに頼んで、本番までの食事休憩を頼んだ。
昔からヤセノ大食いの上に音の前にいると動き回らなくてもやたらと腹が空くのである。
外の食堂へ行きゴーヤチャンプルー定食とソウキそばを頼んだ。
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沖縄編 その十

前半のバンド演奏が終り、再びクラシックパートの演奏が始まった。
一旦、機材保護のために下げた全フェーダの位置に印をつけ、再びシンフォニーパート、合唱パートのバランスをとりなおし、印を付けた。この後の本番の時、どういうふうにやっていくかを話すために、後ろを振り向いてディレクターを見た。彼はシンフォニーの演奏ミスやバンドとの音量差をどうしたら好いかわからず、困り切った顔で私に視線を向けた。しかし、あくまでもリハーサルだ。演奏ミスは本番でどうなるかわからない。(今悩んでもしょうがない)とにかく本番を録音するしかない。
それよりもバンドとシンフォニーの音量差をどのようにして録音するかが問題である。
私はディレクターにスコアーを追ってもらい、バンド演奏が始まる四小節前に合図をしてもらい、一小節前から大声で一拍づつカウントしてほしい、また、バンド演奏が終るときも同様にやってほしい旨伝えた。
次に、関口と佐藤を呼び、ディレクターの掛け声で私と一緒にフェーダの上げ下げをやるように指示し、受け持ちの場所を指定した。三十本の指でやるのである。二回の動作で九十本のマイクを操作できる。後の細かなレベル調整はミックスダウンでやるつもりだ。
小休止を挟み後半に入るが、この間にストリングスパートにコンタクトマイクをつけ、ポータブルミキサーで音をまとめて調整室に送るよう関口に指示。
後半の演奏中にバランスと音決めをやり直すためだ。
関口とターザンが機材を持って調整室を飛び出した。
しかし関口だけがすぐに戻ってきた。
忘れ物かと思っていると私に近づき耳打ちした。
「超ミニスカートのかわいいおねぇちゃんがオケピットでバイオリン弾いてますぜ!」「そうか」と頷き私は調整室を飛び出した。《何をやってんだかぁ》
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沖縄編 その九

バンドのパート演奏が始まった。
最初はジョージのソロである。
静かに、雄大に、いかにも沖縄の海を連想させる。
その中に私は浸っていたが、いきなりフォルテシモに転じ、バンド全員の演奏が始まった。
途端に調整室はパニックに陥った。24個のメーターの針が、振り切れ、右側にめり込み、痙攣を起こしている。
ミキサー卓のマイクラインごとについているオーバーロードの赤いランプが、つきっぱなしか、もしくは、すごい勢いで点滅している。すさまじい音量のレベル差だ。
スタッフ全員が私の方を見ている。
こういう場合、どういう訳か《私はニャッと笑ってしまう。こういうシチュエーションが好きなのかもしれない。我ながら、変な奴である》
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沖縄編 その八

考えてもしょうがないので、通しリハが始まる前に、バンドの各楽器の音をもらい音決めを行なった。
ジョージ氏のキーボード類がオーバーハイム一台だけだったのは録音する側は助かった。
シンフォニー、合唱は通しリハの中で決めていくことにした。
さあ通しリハの始まりである。
後ろに座るディレクターの衛藤氏に、スコアーを追ってもらい、でてくる楽器を、でてくる少し前に後ろから怒鳴って教えてくれるよう依頼。
何かあったらすぐ飛び出せるよう、スタッフも緊張の面持ちでスタンバっている。ステージ側には二名いるはずだ。
音楽が静かにスタートした。
平良トミさん(琉球演劇の俳優さんである)が語りだした。
沖縄方言で意味は所々しかわからない。しかし、語り口の素晴らしさに鳥肌が立ってきて、その世界に入り込んでいった。《この時から私はすっかりトミさんのファンになり、東京で公演があるたびに花束を持ってみに行くようになった》
この後、徐々に出てくるシンフォニーのバランスと音を決めていった。微妙なマイクのリセットは、後で自分でやるつもりであるが、大まかなマイクの位置移動や、マイクの変更をスタッフに矢継ぎ早に伝え、ステージに走らせる。
100本以上のマイクがつながったミキサー卓は、私をぐるりと取り囲んでいる。
椅子になんか座っていられない。
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沖縄編 その七

翌日、沖縄の空は晴れ。すでに夏の陽射しである。
いざ本番!
私は二人に先に市民会館に行ってもらった。いつもの癖で一人になるためである。
玄関を出た後、神経を集中するため、自分のペースで歩き、録音現場に到着するまで人と話したくないのである。
到着したときは、完全に意識がピークに達している。あとは身体が勝手に動き、次々に指示を出す。
大変な録音のときはいつもそうだ。この時、この録音は絶対うまく行くと確信した。(不思議な感覚である。好きになった沖縄でこれだけ集中できている。)
ミキサー卓の前に座り、スピーカーとの距離と角度を決めた後は、指示した機材のセッティングと調整を待っている間、調整室の中を、檻のなかの熊のようにうろうろと歩き回ったり、客席に座ってステージを眺めたり、端から見ればおかしいかもしれないが、それをやることで意識をキープしているのだ。
オケピットとステージに、次次とマイクが立っていく。
演奏の人々が徐々に入って来て、自分の席に座っていく。
私は追い掛けるように、マイクの位置と角度を決めていく。
指揮者の粟国さんは、上地さんやオケの人たちと譜面の最終確認や直しを行なっている。
リハの定刻よりずいぶん遅れてバンドのメンバーが集まり始めた。沖縄フィルのメンバーも合唱の皆さん、語りの平良とみさんも揃ったが、バンドのギターが一人来てない。
「嘘だろう?」電話をしてもどうしても連絡がつかないという。
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沖縄編 その六

準備は全て整った。
四月中旬、再度沖縄へ旅立った。
手荷物を肩に掛け、市民会館へのお土産の日本酒の一升ビンを手に提げて(なぜか、ビクターからホールへの挨拶は日本酒の一升ビンである)
手荷物の中には、水着がバッチリ入っている。
東京が花見で浮かれているときに、こちらは海で泳ぐぞという気持ちが満々であった。《何しに行くんだかわかりゃしない》
那覇に到着後、まっすぐ那覇市民会館をおとづれ、音響責任者の玉城さんを尋ねた。例の日本酒を渡し、今回トンでもない録音で世話になる旨挨拶をすると、にこやかに手を伸ばし、握手をしながら「なにか足りないものがあったら何でも言ってくださいね。明日のライブは沖縄の人みんなが期待してるからね」という優しいお言葉。
沖縄の人は声が優しく、なおさら人の心を打つものがある。
衛藤氏と私とアシスタントの三人は、市民会館を辞し、宿泊先のホテルへ向かった。(さあ前祝いの酒盛りだ!!)
衛藤氏曰く、「俺だけ別の部屋にするから」という。「何で?」と尋ねると「鼾が人一倍うるさいんだ」「ふぅーん」と軽い気持ちで頷いたが、深夜になって納得した。鉄筋の壁を通して隣の部屋の彼の鼾が聞こえるのである。アシスタントの関口と顔を見合わせてしまった。
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沖縄編 その五

おやじさんは沖縄素人の私に、丁寧にやさしく戦前戦後の沖縄について語ってくれた。他に客が一人もいなくて貸し切り状態でもあり(大体お客が入りだすのは十二時過ぎからだという・・まだ十時前だ)
情のある話しぶりに、つい古酒を飲みすぎた。大分天井が揺れているような、回っているような、親父さんに聞くと何せ度数は五十度だった。
また来月来ますのでと、親父さんにさよなら言って店を出たが、酔っ払ってのカトちゃん状態。(つまり千鳥足!ドリフのコント状態)
近かったつもりのホテルになかなか辿り着かない。しょうがないのでタクシーを拾い、ホテルの名前を告げると、三メートル後ろを指差されてしまった、、、冷や汗 運転手さんすんまへん!
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沖縄編 その四

ふらりとホテルの玄関を出ると、春とはいえさすがに沖縄である。湿気を含んだ生暖かい風が頬をなでる。左右を見回しネオン街の方向をめざす。
本土には無いめずらしい名称の看板が並び、まだ復帰後間もないため英語の看板も数が多い。異郷の雰囲気に浸りながら、ぶらぶらと歩き廻った。
玄関に徳利椰子とシーサーの置物が飾ってある居酒屋に入っていった。カウンターのまわりは、民芸品が多数飾ってあり、顔艶のいいおやじさんが、沖縄独特のイントネーションで挨拶をしてくれた。
「内地からいらっしゃったんですね?」
「はい! 初めて沖縄に来ました。雰囲気があり最高です。」
というと愛好を崩し「何を差し上げましょうかね?」と壁に下がるメニューを指差した。またこれが判らない単語が並んでいる。「ふぅいりちゃー」?「おかず」?「ゴーヤチャンプルー」?「やぎさし」?「とうふよう」?「くーすー」?
何が何だか判らない。
一つ一つ親父さんに説明を受け、ゴーヤチャンプルーと古酒(くーすー)を頼んだ。
初めて体験する味覚に、ますます沖縄にのめり込みそうな自分を感じた。メチャクチャにおいしく感じるのである。
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沖縄編 その三

指揮者の粟圀安彦さん(背中まであるちぢれた太い髪の毛と、顔中髭だらけである藤原歌劇団の演出家さんだ)、次がジョージ紫氏(おぅー!この人がジョージ紫さんか、握手した手がやけに毛深い・・・笑)、ドラムの津嘉山善栄さん、ベースの天願賢正さんなど、次々に紹介された。
リハーサルは聞けなかったけれど「まぁ何とかなるさ」とお気楽な私であった。
この後、ホテルに戻りマイクアレンジを考えた。バンドだけで16本、シンフォニー、150名の合唱、語りを入れると約100本を越すマイクの数である。ライブで、ロックバンドとシンフォニーが一緒に演奏するためのコンタクトマイク等を含めるとこの数になる。
「こりゃ大変だぁ〜!」頭を抱え込む。
しかぁーし、それも一瞬でボールペンを放り出し夜の街へ出ていった。
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沖縄編 その二

その後、ジァンジァンの近くのビジネスホテルに宿をとり、荷を解いた。
何げに部屋の窓を開けると、目の前に、ハイビスカスの花が咲いた家屋の赤瓦があり、その下方先端に、可愛らしいシーサーが乗っている。赤瓦は強い陽射しと雨風に耐え所々が割れ、少し白っぽくなっている。しかしそれがかえって沖縄の生活を感じさせた。
ロビーに降りると今回の「交響詩あけもどろ」の作曲家である上地昇さんが待っていてくれた。これからゲネプロ会場まで私を連れていってくれるという。
挨拶もそこそこに沖縄の強い潮風にさらされ少し錆の浮いた彼の車に乗り込む。
上地さんは顎と鼻のしたに髭をたくわえた長身のオキナワンだ。声もでかい。エネルギッシュで信号待ちで止まるたびに顔を近付け、今回のイベントに対する熱い思いを盛んに語ってくれるが、大量の唾が飛んでくるのには閉口した。
車の窓から那覇の街並が見えてくる。復帰後間もない時期で、看板、標識は英語ばかりである。車の通行車線が右から左に変更されたり、大変だったろうな等と思っているうちに、リハーサル会場である琉球新報ホールへ着いた。
しかぁし、ここでトンでもないことが起こった。
リハーサルは今終わったばかりだという。一瞬目が点になった。全体が見えないのだ。しょうがないので正確な楽器編成を聞き、主なメンバーの紹介を受けた。
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沖縄諞 その一

翌日朝、羽田空港からJALのジャンボジェット機で旅立った。
沖縄ブームが始まるはるか前で、機内の乗客は五十人もいない。
私は機内の真ん中辺りの乗降口傍のシートに座った。
前にスチュワーデス(今はキャビンアテンダントというのかな?)が座っている以外誰もいない。
彼女も離陸後の作業もすぐに終わり、手持ち無沙汰の様子で盛んに話し掛けてくる。
やがて雲一つない快晴の中、飛行機は鹿児島上空から奄美大島上空を過ぎ、徐々に高度を下げていく。
少しづつ海の色がグリーンから濃いブルーに変化していった。
さらに沖縄に近づくと、この世のものとは思えないマリンブルーになり、海底の珊瑚礁が見えだした。
私はたちまち我を忘れて夢中になり、顔は窓口に釘付けになってスチュワーデスに言った。
「スチュワーデスさん!もうここでいいからドアを空けて僕を降ろしてください。飛び込みますから!」
彼女は大口を開けて笑いだした。でも私はマジにそうしたいという気持ちだった。【沖縄中毒の始まりである。
尻餅をつくような格好で、ドシンと飛行機は那覇空港に着陸した。
ランディングする飛行機の窓から、強い陽射しを受けた風景がやけに眩しい。
手荷物を受け取り外に出た。
日本地図を頭の中に思い浮かべ沖縄の位置を確認して、遂に来たぞと二度ほど右足で地面を踏んだ。
タクシーを拾い、指定された沖縄ジァンジァンのある国際通りへ向かう。
タクシーのラジオからは琉球民謡と琉球言葉で喋るDJの声が流れる。意味はさっぱりわからないが、異境の地にきたという実感が湧く。
陽射しは強く、まわりの樹々の緑は深く生命力を感じさせる。窓から流れ込む風に沖縄を感じながら十分程で沖縄ジァンジァンに着いた。
前日に説明された金城さんという女性の責任者を尋ねた。
小柄な女性で、はにかみながら今後のスケジュールを教えてくれた。
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沖縄諞 はじめに

1976年春、私は改修が終わった302スタジオで芸能山城組の録音を行なっていた。
そこに奥村録音部長が紙切れをひらひらさせてニヤッと笑って入ってきた。
永年の感でとんでもないことを言いにきたなということは表情でわかる。
録音の合間に話を聞くと、沖縄でクラシックとロックのコンサートがあり、そのライブ録音をやってくれというものだった。
一瞬目が点になった。クラシックとロック?ではそれぞれで音量差があり過ぎ、しかもライブである。
普通はとても無理だと言うだろう。「クラシックとロックの両方やれるのは君しかいない」という煽てに乗って《煽てれば乗りやすい性格はとおに判っているようで、、》僕の後ろで山城氏が「そうだよ。松下さんしかやれないよ」などと煽てる。
ついては、沖縄の那覇でゲネプロがあるので、明日、沖縄に飛んでほしい。《あ、明日ぁ?》
これからそれについての打ち合せがあるので、この録音を依田さんと替わって出てほしい。
下でディレクターが待っている。奥村部長は山城氏に了解をとり私に即した。
ここでまた私の病気が始まった。
沖縄に行ける!ただこの一点である。大変な録音などは殆ど考えず山城組の皆に手を振って302スタジオを後にした。
一階の試聴室で学芸教養部の初めて見る新米ディレクターが待っていた。名前を衛藤という真四角な体系をしたディレクターだ。彼の説明によると渋谷のジァンジァンが沖縄に沖縄ジァンジァンをつくり、そのオーブニング企画で『交響詩あけもどろ』を沖縄フィルとジョージ紫のバンドでやるという。場所は那覇市民会館である。
私は正直なところクラシックにはそれ程堪能ではない。ジョージ紫の名前は実力のあるバンドリーダーでキーボード奏者であると言うことは聞いていたがレコードを聞いたこともないそういうレベルでした。
したがって、ディレクターの説明も「ふぅーん」というていどで頭の中は《お・き・な・わ》でした。
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音楽録音現場からX

人はそれぞれに感じ入る音楽があります。
古代では宗教の呪術、子守歌が最初ではなかったかと思われます。
現代では商業音楽のなかではメディアを通じてより多くの共感を呼んだものがヒット曲と呼ばれるものになりますが、歌という歌詞と声による表現が一番解りやすく、広まるのが早いのが常です。
エジソンが蓄音機を発明して以来、音の記録が可能になり世界的なさまざまな音楽を人々は知るようになりました。
ラジオ放送が出現して、それは加速度を増していったと言っても過言ではありません。
現在ではTVやインターネットでいち早く世界の音楽を知ることができます。
この中で録音機材とともに録音技術は発達してきました。
最初はラジオ放送の声や音楽の録音ではなかったかとおもいます。
あとキリスト教の番組なども考えられます。
ヨーロッパにおけるクラシックの録音は機材の中でも音の入り口であるマイクの性能を飛躍的に向上させました。
アメリカにおいてはカントリーアンドウェスタン、ブルース、ジャズなどがあり、映画の発展とともに機材の発達があったと思われます。続きを読む
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音と音楽の現場から11

新しくビクター青山スタジオ(渋谷区千駄ケ谷2ー21ー1)が完成した。
その要員である私は、3ヵ月の訓練を二ヵ月に短縮され(訓練から解放され万歳三唱!)暫らくは、築地のスタジオで見習いだけど、新スタジオ録音テストと準備の為にスタジオに配属された。
ヤッタァー!!
採用されたのは三人で、福島出身のT君と栃木出身のK君だ。

心浮き浮き、寮から三人連れ立って初出勤。
まだ畑が残る相模原の道をトコトコ歩いて駅へいく。
出勤先はあの木造二階建築地のスタジオだ。
受付嬢に案内され三人。打揃って玄関脇の録音課に柄にもなく緊張して入って行った。
明るく小さな事務所の中に、先日、面接で会った奥村課長と依田技師、私の師匠になる関口技師、メンテナンスの苫米地氏、事務の影山さんがいた。
後の三人はスタジオと編集室に入っていた。
(続く)
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