2009年05月10日

沖縄編 その七

翌日、沖縄の空は晴れ。すでに夏の陽射しである。
いざ本番!
私は二人に先に市民会館に行ってもらった。いつもの癖で一人になるためである。
玄関を出た後、神経を集中するため、自分のペースで歩き、録音現場に到着するまで人と話したくないのである。
到着したときは、完全に意識がピークに達している。あとは身体が勝手に動き、次々に指示を出す。
大変な録音のときはいつもそうだ。この時、この録音は絶対うまく行くと確信した。(不思議な感覚である。好きになった沖縄でこれだけ集中できている。)
ミキサー卓の前に座り、スピーカーとの距離と角度を決めた後は、指示した機材のセッティングと調整を待っている間、調整室の中を、檻のなかの熊のようにうろうろと歩き回ったり、客席に座ってステージを眺めたり、端から見ればおかしいかもしれないが、それをやることで意識をキープしているのだ。
オケピットとステージに、次次とマイクが立っていく。
演奏の人々が徐々に入って来て、自分の席に座っていく。
私は追い掛けるように、マイクの位置と角度を決めていく。
指揮者の粟国さんは、上地さんやオケの人たちと譜面の最終確認や直しを行なっている。
リハの定刻よりずいぶん遅れてバンドのメンバーが集まり始めた。沖縄フィルのメンバーも合唱の皆さん、語りの平良とみさんも揃ったが、バンドのギターが一人来てない。
「嘘だろう?」電話をしてもどうしても連絡がつかないという。
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沖縄編 その六

準備は全て整った。
四月中旬、再度沖縄へ旅立った。
手荷物を肩に掛け、市民会館へのお土産の日本酒の一升ビンを手に提げて(なぜか、ビクターからホールへの挨拶は日本酒の一升ビンである)
手荷物の中には、水着がバッチリ入っている。
東京が花見で浮かれているときに、こちらは海で泳ぐぞという気持ちが満々であった。《何しに行くんだかわかりゃしない》
那覇に到着後、まっすぐ那覇市民会館をおとづれ、音響責任者の玉城さんを尋ねた。例の日本酒を渡し、今回トンでもない録音で世話になる旨挨拶をすると、にこやかに手を伸ばし、握手をしながら「なにか足りないものがあったら何でも言ってくださいね。明日のライブは沖縄の人みんなが期待してるからね」という優しいお言葉。
沖縄の人は声が優しく、なおさら人の心を打つものがある。
衛藤氏と私とアシスタントの三人は、市民会館を辞し、宿泊先のホテルへ向かった。(さあ前祝いの酒盛りだ!!)
衛藤氏曰く、「俺だけ別の部屋にするから」という。「何で?」と尋ねると「鼾が人一倍うるさいんだ」「ふぅーん」と軽い気持ちで頷いたが、深夜になって納得した。鉄筋の壁を通して隣の部屋の彼の鼾が聞こえるのである。アシスタントの関口と顔を見合わせてしまった。
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沖縄編 その五

おやじさんは沖縄素人の私に、丁寧にやさしく戦前戦後の沖縄について語ってくれた。他に客が一人もいなくて貸し切り状態でもあり(大体お客が入りだすのは十二時過ぎからだという・・まだ十時前だ)
情のある話しぶりに、つい古酒を飲みすぎた。大分天井が揺れているような、回っているような、親父さんに聞くと何せ度数は五十度だった。
また来月来ますのでと、親父さんにさよなら言って店を出たが、酔っ払ってのカトちゃん状態。(つまり千鳥足!ドリフのコント状態)
近かったつもりのホテルになかなか辿り着かない。しょうがないのでタクシーを拾い、ホテルの名前を告げると、三メートル後ろを指差されてしまった、、、冷や汗 運転手さんすんまへん!
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沖縄編 その四

ふらりとホテルの玄関を出ると、春とはいえさすがに沖縄である。湿気を含んだ生暖かい風が頬をなでる。左右を見回しネオン街の方向をめざす。
本土には無いめずらしい名称の看板が並び、まだ復帰後間もないため英語の看板も数が多い。異郷の雰囲気に浸りながら、ぶらぶらと歩き廻った。
玄関に徳利椰子とシーサーの置物が飾ってある居酒屋に入っていった。カウンターのまわりは、民芸品が多数飾ってあり、顔艶のいいおやじさんが、沖縄独特のイントネーションで挨拶をしてくれた。
「内地からいらっしゃったんですね?」
「はい! 初めて沖縄に来ました。雰囲気があり最高です。」
というと愛好を崩し「何を差し上げましょうかね?」と壁に下がるメニューを指差した。またこれが判らない単語が並んでいる。「ふぅいりちゃー」?「おかず」?「ゴーヤチャンプルー」?「やぎさし」?「とうふよう」?「くーすー」?
何が何だか判らない。
一つ一つ親父さんに説明を受け、ゴーヤチャンプルーと古酒(くーすー)を頼んだ。
初めて体験する味覚に、ますます沖縄にのめり込みそうな自分を感じた。メチャクチャにおいしく感じるのである。
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沖縄編 その三

指揮者の粟圀安彦さん(背中まであるちぢれた太い髪の毛と、顔中髭だらけである藤原歌劇団の演出家さんだ)、次がジョージ紫氏(おぅー!この人がジョージ紫さんか、握手した手がやけに毛深い・・・笑)、ドラムの津嘉山善栄さん、ベースの天願賢正さんなど、次々に紹介された。
リハーサルは聞けなかったけれど「まぁ何とかなるさ」とお気楽な私であった。
この後、ホテルに戻りマイクアレンジを考えた。バンドだけで16本、シンフォニー、150名の合唱、語りを入れると約100本を越すマイクの数である。ライブで、ロックバンドとシンフォニーが一緒に演奏するためのコンタクトマイク等を含めるとこの数になる。
「こりゃ大変だぁ〜!」頭を抱え込む。
しかぁーし、それも一瞬でボールペンを放り出し夜の街へ出ていった。
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沖縄編 その二

その後、ジァンジァンの近くのビジネスホテルに宿をとり、荷を解いた。
何げに部屋の窓を開けると、目の前に、ハイビスカスの花が咲いた家屋の赤瓦があり、その下方先端に、可愛らしいシーサーが乗っている。赤瓦は強い陽射しと雨風に耐え所々が割れ、少し白っぽくなっている。しかしそれがかえって沖縄の生活を感じさせた。
ロビーに降りると今回の「交響詩あけもどろ」の作曲家である上地昇さんが待っていてくれた。これからゲネプロ会場まで私を連れていってくれるという。
挨拶もそこそこに沖縄の強い潮風にさらされ少し錆の浮いた彼の車に乗り込む。
上地さんは顎と鼻のしたに髭をたくわえた長身のオキナワンだ。声もでかい。エネルギッシュで信号待ちで止まるたびに顔を近付け、今回のイベントに対する熱い思いを盛んに語ってくれるが、大量の唾が飛んでくるのには閉口した。
車の窓から那覇の街並が見えてくる。復帰後間もない時期で、看板、標識は英語ばかりである。車の通行車線が右から左に変更されたり、大変だったろうな等と思っているうちに、リハーサル会場である琉球新報ホールへ着いた。
しかぁし、ここでトンでもないことが起こった。
リハーサルは今終わったばかりだという。一瞬目が点になった。全体が見えないのだ。しょうがないので正確な楽器編成を聞き、主なメンバーの紹介を受けた。
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沖縄諞 その一

翌日朝、羽田空港からJALのジャンボジェット機で旅立った。
沖縄ブームが始まるはるか前で、機内の乗客は五十人もいない。
私は機内の真ん中辺りの乗降口傍のシートに座った。
前にスチュワーデス(今はキャビンアテンダントというのかな?)が座っている以外誰もいない。
彼女も離陸後の作業もすぐに終わり、手持ち無沙汰の様子で盛んに話し掛けてくる。
やがて雲一つない快晴の中、飛行機は鹿児島上空から奄美大島上空を過ぎ、徐々に高度を下げていく。
少しづつ海の色がグリーンから濃いブルーに変化していった。
さらに沖縄に近づくと、この世のものとは思えないマリンブルーになり、海底の珊瑚礁が見えだした。
私はたちまち我を忘れて夢中になり、顔は窓口に釘付けになってスチュワーデスに言った。
「スチュワーデスさん!もうここでいいからドアを空けて僕を降ろしてください。飛び込みますから!」
彼女は大口を開けて笑いだした。でも私はマジにそうしたいという気持ちだった。【沖縄中毒の始まりである。
尻餅をつくような格好で、ドシンと飛行機は那覇空港に着陸した。
ランディングする飛行機の窓から、強い陽射しを受けた風景がやけに眩しい。
手荷物を受け取り外に出た。
日本地図を頭の中に思い浮かべ沖縄の位置を確認して、遂に来たぞと二度ほど右足で地面を踏んだ。
タクシーを拾い、指定された沖縄ジァンジァンのある国際通りへ向かう。
タクシーのラジオからは琉球民謡と琉球言葉で喋るDJの声が流れる。意味はさっぱりわからないが、異境の地にきたという実感が湧く。
陽射しは強く、まわりの樹々の緑は深く生命力を感じさせる。窓から流れ込む風に沖縄を感じながら十分程で沖縄ジァンジァンに着いた。
前日に説明された金城さんという女性の責任者を尋ねた。
小柄な女性で、はにかみながら今後のスケジュールを教えてくれた。
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沖縄諞 はじめに

1976年春、私は改修が終わった302スタジオで芸能山城組の録音を行なっていた。
そこに奥村録音部長が紙切れをひらひらさせてニヤッと笑って入ってきた。
永年の感でとんでもないことを言いにきたなということは表情でわかる。
録音の合間に話を聞くと、沖縄でクラシックとロックのコンサートがあり、そのライブ録音をやってくれというものだった。
一瞬目が点になった。クラシックとロック?ではそれぞれで音量差があり過ぎ、しかもライブである。
普通はとても無理だと言うだろう。「クラシックとロックの両方やれるのは君しかいない」という煽てに乗って《煽てれば乗りやすい性格はとおに判っているようで、、》僕の後ろで山城氏が「そうだよ。松下さんしかやれないよ」などと煽てる。
ついては、沖縄の那覇でゲネプロがあるので、明日、沖縄に飛んでほしい。《あ、明日ぁ?》
これからそれについての打ち合せがあるので、この録音を依田さんと替わって出てほしい。
下でディレクターが待っている。奥村部長は山城氏に了解をとり私に即した。
ここでまた私の病気が始まった。
沖縄に行ける!ただこの一点である。大変な録音などは殆ど考えず山城組の皆に手を振って302スタジオを後にした。
一階の試聴室で学芸教養部の初めて見る新米ディレクターが待っていた。名前を衛藤という真四角な体系をしたディレクターだ。彼の説明によると渋谷のジァンジァンが沖縄に沖縄ジァンジァンをつくり、そのオーブニング企画で『交響詩あけもどろ』を沖縄フィルとジョージ紫のバンドでやるという。場所は那覇市民会館である。
私は正直なところクラシックにはそれ程堪能ではない。ジョージ紫の名前は実力のあるバンドリーダーでキーボード奏者であると言うことは聞いていたがレコードを聞いたこともないそういうレベルでした。
したがって、ディレクターの説明も「ふぅーん」というていどで頭の中は《お・き・な・わ》でした。
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音楽録音現場からX

人はそれぞれに感じ入る音楽があります。
古代では宗教の呪術、子守歌が最初ではなかったかと思われます。
現代では商業音楽のなかではメディアを通じてより多くの共感を呼んだものがヒット曲と呼ばれるものになりますが、歌という歌詞と声による表現が一番解りやすく、広まるのが早いのが常です。
エジソンが蓄音機を発明して以来、音の記録が可能になり世界的なさまざまな音楽を人々は知るようになりました。
ラジオ放送が出現して、それは加速度を増していったと言っても過言ではありません。
現在ではTVやインターネットでいち早く世界の音楽を知ることができます。
この中で録音機材とともに録音技術は発達してきました。
最初はラジオ放送の声や音楽の録音ではなかったかとおもいます。
あとキリスト教の番組なども考えられます。
ヨーロッパにおけるクラシックの録音は機材の中でも音の入り口であるマイクの性能を飛躍的に向上させました。
アメリカにおいてはカントリーアンドウェスタン、ブルース、ジャズなどがあり、映画の発展とともに機材の発達があったと思われます。続きを読む
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音と音楽の現場から11

新しくビクター青山スタジオ(渋谷区千駄ケ谷2ー21ー1)が完成した。
その要員である私は、3ヵ月の訓練を二ヵ月に短縮され(訓練から解放され万歳三唱!)暫らくは、築地のスタジオで見習いだけど、新スタジオ録音テストと準備の為にスタジオに配属された。
ヤッタァー!!
採用されたのは三人で、福島出身のT君と栃木出身のK君だ。

心浮き浮き、寮から三人連れ立って初出勤。
まだ畑が残る相模原の道をトコトコ歩いて駅へいく。
出勤先はあの木造二階建築地のスタジオだ。
受付嬢に案内され三人。打揃って玄関脇の録音課に柄にもなく緊張して入って行った。
明るく小さな事務所の中に、先日、面接で会った奥村課長と依田技師、私の師匠になる関口技師、メンテナンスの苫米地氏、事務の影山さんがいた。
後の三人はスタジオと編集室に入っていた。
(続く)
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